いつもの今日に革命を

川崎襲撃事件という近代の象徴 ~チームビルディングと脱近代~ 

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また残念な事件がありました。

川崎で児童や母親らを刃物を持った男が襲撃し、児童たちが亡くなったとのこと。

本当に残念としか言いようがありません。

こういった事件が起こると最近では

もっと監視を強めよう

という論調になりがちなように思います。

犯罪を起こしそうな人(犯罪者予備軍)を予めチェックしておいて、彼らを監視することで犯罪を抑止する。

ICチップやAIや精神鑑定などを使えば監視自体は可能かもしれませんし、ある程度は抑止にもなるのかもしれません。

しかしながらこの意見には非常に残念な側面があります。

それは

自分は監視されない(自分は監視とは無関係)

という前提です。

犯罪者予備軍を監視すべきだと主張する人ほど実は

自分は犯罪者予備軍ではないから彼らが監視されようが何されようが知ったこっちゃないし、犯罪者の人権なんてどうでもいい

と無自覚に思っている、つまり他人事として犯罪を捉えているワケです。

 

もしも自分が犯罪者予備軍だと判定されたら

  • 殺人を犯した人は日頃からコンビニでよくパンを買っていた
  • 殺人を犯した人は睡眠の質が悪かった
  • 殺人を犯した人は家に引きこもり気味だった

こういうデータから、コンビニでよくパンを買っている睡眠の質が悪い引きこもり気味のあなたが犯罪者予備軍として行政から監視されることになったとしましょう。

さて、どう思いますか?

今まで他人事だったことが自分の身に降りかかったら、ほとんどの人は

「監視なんてやめてくれ!私は人を殺したりしない!」

って行政に抵抗するんじゃないでしょうか?

じゃあ、あなたがされて嫌なことを他の人にはしてもいいんですかね?

殺人を犯しそうなヤバいヤツになら何をやっても許されるんでしょうか?

僕はこういう思想こそが、今回のような犯罪を生み出す元凶だと思っています。

すなわち、

特定のキモイ奴を監視・管理(もしくは排除)すればみんな幸せになれる

という僕らの全体主義が僕らの日常を蝕んでいるということです。

 

近代民主主義と全体主義の関係

全体主義とは、少数者を切り捨てて多数者の幸福を目指す考え方です。

上記で言えば、犯罪者や犯罪者予備軍を切り捨てて、一般市民の幸福を守るということ。

ポイントは「切り捨てる」という言葉で、僕らは社会(の構成員である人間)を機械のようにくっつけたり切り捨てたりできるものだと思ってるんですね。

「つながりが大事」みたいな発言も同じで、それはつながっていないことが前提だからつながりを作りましょう、という発言になるワケです。

こういう「切り捨てる」とか「つながりを作る」という発想の土台にあるのが、近代が生み出した機械論であり、デカルトの考えた要素還元主義です。

要素還元主義とは、複雑なものはバラバラにして考えれば分かりやすいよね、という考え方のこと。

この要素還元主義を社会に当てはめると個人主義や自由主義、民主主義、人権思想などになります。

社会をバラバラにしたのが個人で、その個人には理性があるから自由や人権を与えて、人権があるから投票権も与える。

けれども民主主義というのは要は多数決なので、行き着く先は全体主義です。

もうお分かりのように、僕らが当たり前のこととして受けれている諸々のこと(近代的価値観)はすべて、今回のような事件を生み出す土壌になっているワケです。

 

構造主義的に生きる

じゃあ僕らは今回のような事件を無くすためにどうすればいいのか。

僕はこの答えの1つが構造主義にあると思っています。

構造主義とは、全体は全体のまま見ましょう、という要素還元主義と逆の考え方です。

つまり、

社会全体のつながりを保ったまま(切り捨てずに)、関係性を見直すことで社会全体の信頼や充実や幸福を高めていくこと

が僕らに求められていることだと思うんですね。

そんな都合いい方法があるのかよ、と思われるかもしれませんが、それをやるのがチームビルディングであり、うちの会社の事業だったりします。

会社や職場という単位ではありますが、実際に問題児的な従業員を切り捨てることなく関係を改善して業績をアップさせています。

具体的にはU理論やシステム思考などの理論に則って、効き脳診断や仮想体験ゲーム、コーチングなどを適切に行うことで関係は改善できるんですね。

これを地域単位や国単位で行うのは現実的ではありませんが、家族や職場単位なら普通に可能です。

これだけが唯一の道だとは思いませんが、僕が知る限りでは今のところこれ以上に優れた方法論はないと思っています。

 

脱近代のための一歩

僕らが簡単に始められるチームビルディングは、仲間外れになっている人を見かけたら声をかけてあげること、そしていっぱい話を聞いて共感してあげることです。

みんながこれをやるだけで犯罪は十分防げると僕は思っています(理屈は今は割愛)。

逆に言えば、これすらできない社会が疲弊するのは仕方ないんじゃないかな、とも思う。

僕自身、完璧にできているかというとそんなことはありません。

話を聞いてあげられる余裕がいつでもあるワケではないし、自分のことに集中していたら周りが見えていないこともあります。

それは人間なんだからしょーがない。

そういった自分を許しつつ、自分のできる範囲で声をかけてあげたり話を聞いてあげたりする。

こんな小さなホスピタリティでも相手の個性を爆発させることがあるので、バカにできないんですよね。

和を以て貴しとなす、って究極的にはそういうことなんじゃないかな。

ありがとうございました。

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管理人プロフィール

杉野裕実(すぎのまさみ)
チームビルディング(組織開発)コンサルティングを行う会社のWEB担当。個人ではコーチングをしたり小説を書いたりしてます。最近Udemyで哲学講師はじめました。【好き】西洋哲学・アート・認知科学・マンガ・料理・ファッション。

>>詳しいプロフィールはこちらからどうぞ。

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