いつもの今日に革命を

ポイ捨ての生態学

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ども、杉野です。

僕は何年か前まで、道にポイ捨てされたゴミを見るたびにいつもイライラしていました。

世の中にはだらしないヤツが多すぎる、ふんがー!

怠慢な自分を棚に上げて、こんな偉そうなことを毎日のように思っていたワケですが、よくよく考えるとこれって不思議じゃないでしょうか。

僕らが日頃歩いている道は公共の場所、つまり

誰のものでもありません。

にもかかわらず、僕はその公共の場所が汚されるのを見てイライラしていました。

自分の土地にポイ捨てされて腹が立つのは普通ですが、そうじゃない場所でも腹が立っていたワケです。

僕が単に短気だったのかもしれませんが、それで終わっては面白くない。

ということで。

今回はポイ捨てを深堀りして意外なものとつなげてみたいと思います。

ふんがー!

 

1.なぜ人はポイ捨てをするのか

僕は人がポイ捨てをする明確な理由は特にないと思っています。

ポイ捨てしたことがあれば分かると思いますが、ポイ捨てはなんとなく、何の意図もなくすることだからです。

僕らがなんとなく家でグータラするように、ポイ捨てする人もなんとなくポイ捨てしているに過ぎません。

俺はたばこをポイ捨てしてやるぜ!ひゃっほー!

なんてことを考えてポイ捨てするクレイジーな野郎は普通いないワケです。

一方で僕らはポイ捨てをしないときがあります。

僕は今、某所タリーズでこの記事を書いていますが、タリーズでポイ捨てをする人は見たことがありません。

これも明確な理由はないと思いますし、

俺は今ポイ捨てしたい衝動に耐えている!

なんてマッチョこともまずないでしょう。

でも僕らの中にはポイ捨てする・しないを決めている「何か」があるワケです。

 

2.ポイ捨てする・しないの境界線

僕らは特定の文脈によってポイ捨てする・しないを決めています。

  1. 場所
  2. 状況
  3. あり方

の3つがそれです。

ここで僕が重要だと思うのは、僕らは文脈次第で善人にも悪人にもなりえるということです。

タリーズでは善人(ポイ捨てしない人)だった人が、公道や公園では悪人(ポイ捨てする人)になってしまう。

もちろん場所や状況に左右されない、自分のあり方としてポイ捨てをしない人、いや、ポイ捨て「できない」人もいるでしょう。

そういう人は別かもしれませんが、僕らのような凡人は場所や状況が変われば簡単に自分の判断を変えてしまいます。

そこら中にゴミが落ちている街を歩けば、たいていの人はポイ捨ての常習犯になってしまうのです。

 

3.ポイ捨てのパラダイムシフト

数年前の僕がポイ捨てを見て腹が立ったのは

自分はそんな奴らと一緒にされたくない

という思いがあったからです。

冒頭で話したようにこれは傲慢以外のなにものでもないワケですが、ポイ捨ての背景が見えていなかったということでもあります。

そもそも公道や公園などの公共の場所には、ポイ捨てしてくださいと言わんばかりの好条件がそろっています。

  • あまり人目がない
  • みんながポイ捨てしている
  • そこらへんにゴミが落ちている
  • 誰にも注意されない
  • 誰の土地でもない
  • 自分と直接関わる人には迷惑がかからない
  • 自分が掃除しなくてもいい(責任がない)
  • ゴミ箱が少ない
  • 罰則などの明確なルールがない

ざっと思いつくだけでこれだけあります。

僕らは自覚していませんが、これだけの条件がそろっているということは

実はポイ捨てしないことの方が難しいのです。

そう考えると、ポイ捨てする人を怒るのではなく、ポイ捨てしない人やゴミを拾う人を褒め称える方が筋が通ってるし、何より建設的だということになります。

マイナスをゼロにするのではなく、ゼロをプラスにする。

これは人間関係にもつながる話です。

相手の悪いところを指摘するよりも良いところや優れたところを褒める方が、結果として相手に自信や心の余裕が生まれて主体的に自分の悪いところを直そうとします。

実際に僕は先日までやっていたバイトでそれを実践し、本当にそうなりました。

ポイ捨てするのは当たり前、できないのも当たり前、だらしないのも当たり前。

そう捉えた方が自分にも他人にも優しくなれるのです。

  

4.ポイ捨てを再定義する

『cash』というサービスを運営している会社の代表さんがこんなことを言っていました。

 

インターネット業界のあらゆるWebサービスを見ているんですが、共通しているのは「人を疑うことを前提に」つくられていること。

たとえば「ログインしてください」とか「本人確認書類を提出してください」とか……要は、悪い人を排除するための仕組みがありますよね。

でも、もっと客観的に考えると、統計的に悪い人ってごく一部だと思うんです。

ごく一部の人を排除するために、大半の人に作業させるってすごいムダで理不尽だと思って。

僕が『CASH』で実験したかったのは、とりあえず「悪い人はいない」を前提にすること。全員全力で信じてみて、取引してみる。

大半が圧倒的にいい人たちならば、ごく一部の悪い人との取引でコストが生じてしまってもカバーできるだけの収益を上げられるはず。

そうすれば、今後事業において「人を疑う」という行為自体が必要なくなると思ったんです。


https://careerhack.en-japan.com/report/detail/953

 

これをポイ捨てに当てはめると

ポイ捨てをするごく一部の「悪人」を排除するより、大多数のポイ捨てしない人やゴミを拾う人にインセンティブを発生させる方が統計的に合理的だ

ということです。

つまり、加点法的にポイ捨てを考えませんか?と。

それが僕なりのポイ捨ての再定義です。

信用スコアなんて言葉もちらほら出てきているように、普段の何気ない行いが評価される社会になると個人の価値はより高まっていくんじゃないかと思っています。

それによって評価が下がる人もいると思いますが、統計的に見ればみんな日頃から何らかの努力をしているワケですから、全体としての価値は今より飛躍的に伸びるはずです。

普通であることが評価される社会。

そういう社会には凄く夢があると思うんですよね。

 

5.未来のポイ捨て


信用スコアの話は管理(監視)社会の話でもあります。

でも僕は管理社会が悪いものだとは思いません。

オーウェルが『1984』で描いた「独裁権力が全国民を管理する」みたなことが起こる可能性は限りなく低いし、何よりめちゃくちゃ非効率だからです。

既にブロックチェーンという技術があり、全員が全員を管理するという概念があることを考えると、これが未来の管理社会の形になるんじゃないかと僕は思います。

そうなったときには自分の一挙手一投足が自己実現につながる、実力主義ならぬ

生き様主義

という時代になっているかもしれません。

僕らは弱くて、傲慢で、醜くて、卑怯で、惨めで、冷徹で・・・ついついそうなってしまう生き物です。

だからこそそれをスタートにすることが大事なんだと思います。

ありがとうございました。

管理人プロフィール

杉野裕実(すぎのまさみ)
チームビルディング(組織開発)コンサルティングを行う会社のWEB担当。個人ではコーチングをしたり小説を書いたりしてます。【好き】西洋哲学・アート・認知科学・マンガ・料理・ファッション。

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