ども、杉野です。
禅の修行と言えば坐禅や公案が有名ですよね。
しかし、実は禅には他にも一般には知られていないちょっぴりマニアックな修行もあります。
この記事ではそんな一風変わった禅の修行からメジャーな修行までをまとめて紹介したいと思います。
公案は一般に禅問答とも呼ばれています。
この修業は、雲水(禅の修行僧)が師匠から出される無理難題に答えるというもの。
これによって自分の思考という狭い枠組みから抜け出し、何ものにもとらわれない境地、すなわち悟りの境地へ至ることを目指しています。
具体的な例は
『パラダイムシフトを起こす!公案(禅問答)の5つの例を解説』
で紹介していますので、興味があればそちらをご参照ください。
禅寺への入門を希望する者は最初、門前払いをくらいます。
これは曹洞宗の永平寺などが有名で、寺の門をくぐるためには何日もの間「たのみましょう!」と門の前で叫び続けなければならないという、第一の関門にしてはあまりに厳しい修行の1つです。
この修行を耐え抜けない僧は寺に入ることすらできません。
まるで映画のような世界ですが、本当の話です。
ただし庭詰のない禅寺も多数存在します。
街でお経を唱えながら片手で茶碗を持ったお坊さんを見たことがないでしょうか?
あれが托鉢という修行です。
托鉢は一般に物乞いと同じようなものだと思われていますが、それは大きな間違いです。
あれは道行く人に金銭を欲求しているのではなく、道行く人の物質的・金銭的執着(煩悩)を減らすための修行なのです。
何の恩も義理もない、何の役にも立たない者に金銭を与えることは、それだけお金への執着を手放すことを意味します。
つまり、お金が大事、お金がなきゃ生きていけない、という執着にとらわれている人からその執着を取り除き、その結果として金銭を受け取ること。
それが托鉢という修行です。
ある決まった期間にひたすら坐禅を続ける修行を接心と言います。
坐禅に目的はありません。
瞑想には「心を落ち着かせる」などの目的がありますが、坐禅はただ坐るだけです。
だから集中できなくても、何も得られなくても、ガッカリする必要はありません。
だって坐禅はそういうものなんだから。
坐禅に成功や失敗はなく、何も考えずに坐っていればそれでいいのです。
気楽なもんでしょ?(笑)
寺の庭や境内の掃除をすること、それが作務の修行です。
もちろんただ掃除をするだけが修行ではなく、掃除をしながら深い気付きを得ることが雲水には求められます。
落ち葉が落ちる、鳥が鳴く、床板がきしむなど、そういったことをキッカケに悟りが開けた例も少なくありません。
禅にとってはすべてが修行なのです。
ちなみに雲水がお寺で着ている服を作務衣(さむえ)と言います。
こういうヤツです。
結構カッコイイと思うのは僕だけでしょうか?(笑)
食事を作ったり食べたりする食堂も修行の1つです。
僕の知っている例だと「音を立てずに食べる」というのがあります。
これも厳しさによって違いがあって、ある禅寺では一切喋らずに食べなければならなかったり、また別のある寺では汁物や麺をを食べるときにズルズルという音を鳴らしてはいけなかったり、いろいろです。
やってみれば分かりますが、無音で食べるのは凄く神経を使います。
こんな当たり前のことですら修行になるという、いい例ですね。
禅宗ではお風呂に入るのも修行の1つです。
残念ながら、この修行を何と呼ぶのかは僕も知りません。
ただ面白い(?)のは、食堂と同じように、寺によってはお風呂のお湯も音を立てずに浴びなければならない、というところ。
これもやってみれば分かりますが、かなり大変です。
ちょっとでも勢いよく流すとすぐに「ジャー!」って鳴っちゃいますからね。
それでいて雲水に許された入浴時間は短いですから、慣れるまではろくに頭も洗えないんじゃないかと思います。
みんなよくやるなぁ(笑)
僕が知っている禅の修行はここまで挙げた
の7つです。
もし何かのきっかけで禅のことが話題になったら、ここで話したことをしたり顔で語ってみてください。
結構みんな食い付くと思いますよ(笑)
ありがとうございました。
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